過去の自分は、自分の片鱗

「過去の自分」は、自分の片鱗。自分の知っている自分を、我々は「自分」と呼んでいる。しかし、その自分とは、自分というものの片鱗でしかない。自分の全体ではない。そんなことは言われなくても分かっていることだが、案外、忘れている。自分がこの世を生きるということは、必ず未来に向かって生きる。そうなると、未来にどんな自分になっているのか、いまの自分には分からない。未来はさまざまな出来事の連続で、そんな出来事にぶつかったとき、自分は必ず「過去の自分」ではいられなくなっている。そんな自分の変化を考えることもないままに、日々を過ごしている。
本当は、自分は「過去の自分」しか問題にしていない。自分が反省して見ている「自分」とは、必ず「過去の自分」だ。それは自分の片鱗に過ぎないのだ。結局のところ、〈ほんとう〉の自分とは、自分には分からない構造になっている。