生と死の秤

昨日も、お通夜があった。八十歳の女性が亡くなられた。晩年、一年ほど病院で治療されたが亡くなられたという。ご家族は、悲しみに包まれていた。旦那さんも「先に逝っていまって…」と漏らされていた。祭壇の前で、お勤めをしていて、やはり、「この世は〈私一人〉を教育する阿弥陀さんの学校」だと、つくづく思わされた。だから、誰かのために読経しているわけではない。〈私一人〉のために、阿弥陀さんの教育を受けるために、お勤めするのだ。
ご遺族も、そうだ。この世には〈私一人〉しか生きていないのだから、やはり、教育現場なのだ。みんなと一緒に暮らしているのだが、その暮らしを生きるのは〈私一人〉なのだ。「孤独は山中にあるのではなく、集団のなかにこそある」と言われるのも、〈私一人〉を生きているからこそ感じられるのだ。
法事の表白で、「亡き人を偲びつつ、如来の御教えに遇いたたまつる」という表現がある。これが法事の意味だと教えられている。「亡き人を偲ぶ」だけで終わってはいけない。そこから「如来の御教えに遇いたてまつる」が抜けてはならないと。私は、この表白が好きになれなかったときがあった。それでは故人を出汁にして、浄土真宗の教義を聞かせるだけではないかと思っていたからだ。故人は問題ではない、生きているお前自身が説法を聞くべきなのだと。何か、生と死をわけて、生のみを特化し、説法を聞かせる手段に故人を貶めていないかと思ったからだ。つまり、故人を説法の材料にしているだけではないかと感じたのだ。そんな場面で、坊さんが、「人間は必ず死ぬ。それに目覚めて、生きることの意味を問え」などと説法するとすれば、傲慢だと思ったものだ。そんなことは遺族自身が、みずから感じていくことであって、ひとからとやかく言われることではないと。そう説法している坊さん自身が、「生きることの意味」を明確に知っているのかとも思ったものだ。坊さん自身が「死」をどこまで身体化して考えているのか。それが抜けてしまえば、「人間は死ぬ、にも関わらず生きる」というときの「にも関わらず」に力が生まれない。「ひとの死は悲しい。しかし、そこから何も学べないのは寂しい」などと言うけれども、それは「死」を切り捨てて、「生」のみを重んじることにもなりかねない。高村薫さんが、仏教は、死にたいと悩んでいるひとに向かって、「死んでもいい、だったら生きてもいいじゃないか」と語るものだと言い放ったのは、〈真実〉だ。自分は生の側にいながら、「死んではいけない」と説得しても、それは通じないだろうと言うのだ。「生と死」が同じ重さに釣り合ったとき、初めて、死にたいと思っているひとのこころの根底がゆらぐのだ。だから、仏教は、「死んでもいいよ」という。これはとても危険なことなのだが、そこまで降りていかなければ、生と死が同じ重さにならない。これが同じ重さになったとき、「生と死」を超えて、「だったら生きてもいい」が芽生えるのだろう。
 しかし近頃は、その表白ももっともだと思うようになった。それは、「亡き人を偲びつつ、如来の御教え」に遇うということが、お通夜や法事だけに限定したことではなく、〈いま〉、この世を生きる、この現場、全体が教育を受ける教室だからだ。
「亡き人を偲ぶ」だけだと、自分が故人を想うというだけになってしまう。自分が故人を想っているだけだと、そう思っている自分が、まったく問われることがない。「如来の御教え」を受けるということは、「亡き人を偲ぶ」だけで終わっていた我が姿が、如来から問われるということだ。実は、この世に誕生したときから、如来から問われ始めていたのだ。「お前も死ぬぞ」と。さあ、それに対してお前はどう答えるのか。これはまったく特殊なことではない。人間であれば、誰もが問われることである。人類にとって、普遍的な問いを、〈私一人〉が問う。そういう意味が「生きるということの本質」なのだ。