この9月1日発行の『東京教報』(179号)の巻頭言を頼まれましたので、転載いたします。(東京教報とは、真宗大谷派東京教区の官報です)
「〈コロナ〉というメタファー」
新型コロナウイルスという見えない存在により、全世界が怯えている。このウイルスが恐れられているのは、感染していても症状がすぐに現れないことと、感染してからの致死率の高さだ。科学者に聞くと、ウイルスは、今回のように人類に災厄をもたらすが、同時に進化ももたらしてきたという。今後は、ウイルスを「正しく恐れる」ことにこころを留めなければならない。
蓮如上人は「疫癘の御文」で、「これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず。生まれはじめしよりしてさだまれる定業なり。さのみふかくおどろくまじきことなり。」(『真宗聖典』827頁)と述べている。ウイルスは死の条件であっても、原因ではない。死の原因は誕生以外にない。これは〈真実〉の言葉だ。ただ人間は、それを「その通り」と受け取れない。人間は、死を「まさか」という意識でしか受け取れない。蓮如さんも、連れ合いを次々に四人も亡くされているのだから、「まさか」と驚きうろたえたに違いない。もし驚きうろたえないようでは、凡夫失格である。ただし、驚きうろたえただけで終わってはいなかった。そこから阿弥陀さんの声が聞こえてきに違いない。「さのみふかくおどろくまじきことなり」と。この言葉は驚きうろたえている蓮如さんの耳にしか聞こえてこなかったのではないか。蓮如さんの耳に聞こえてきた言葉を、筆を執って「御文」に書き留めたのだろう。だから蓮如さんは、驚きうろたえている門徒に向かって語っているように見えて、本当は、阿弥陀さんからご自身が受け止めた言葉をしたためたに違いない。「私が驚きうろたえているとき、阿弥陀さんから、このような言葉をいただいたのだ。さて皆さんはどう受け止めるか」と蓮如さんは語られたのだろう。蓮如さんも、我々真宗門徒も、同じ地平に立っている。それは一寸先にある〈死〉に、唯一無二の自己が対面している地平であり、曠劫以来、阿弥陀さんとだけ対面してきた地平である。
※メタファー(metaphor)は「隠喩(いんゆ)」と訳され、理性で明確に概念化できない事象や表現を意味する。